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後輩が配達先で立ちションした件で、ミーティングした日の話

 

 

 

 

 

 

14:00

 

「おたくの配達員さんがうちの家の前で立ちションしたんですが!!
今! 父が押さえているので! 早く誰か来てください!!!」

 

10年前くらいだろうか、大学生だった僕は配達専門の寿司屋でアルバイトしていて、昼過ぎにとんでもない電話を受けた。

自覚出来るくらいに目を丸くした。シンプルな現象のわりに頭に全然スッと入ってこなくて、唖然としたまま無言になってしまった。
でも何か話さないとって思って、絞り出すように接客や対応とはかけ離れたセリフを言ったことを覚えている。

 

「えっ……どうして……?」

「知りませんよ!!! 店長さんに代わっていただけますか!?!?!?」

 

逃げるように電話を保留にし、店長を見ると大量の仕込みと格闘中だった。

この日は日曜日、予約も多く忙しい日だ。

 

「店長!! クレーム?クレームです、代わってほしいそうです!」

「ん? ワサビ? 遅れ?」

店長は不思議そうな顔で僕を見た。宅配寿司に来るクレームは、さび抜きにワサビを入れたか、遅配(ちはい)と呼ばれる配達時間の遅れの2つ以外はほとんどない。

店のオープニングスタッフとして3年も働いてる僕はそんなもの「私が責任者です」とか言って何百件と対処してきたはずだからだ。

 

「いや、そういうのじゃないんですけど、初めてのケースで……」

「マキヤくんでなんとかならない? 内容は何? そこで言って!

店長は一切手を止めず忙しそうにしていた。

店内には仕込みや巻き寿司作りをしている女性スタッフが何人もいたが、早くこのボールを自分から投げたい一心で言った。

 

「配達行った誰かがお客さんの家に立ちションしたらしいです」

「代わる代わる代わる代わる」

 

店長はすごい早さで飛んできて手袋を外し受話器を掴み、ふう、と短く息を吐いてから保留を解除した。

「もぅーーーしわけ!!! ございません!!!」

長身の店長が、電話越しに深々と頭を下げていた。誇張とかじゃなく本当に深かった。

「はい、はい、ありえないことで、はい」

「ええ、はい、おかしいです」

「はい、いえ、はい、立ちション、はい」

店長はペコペコしながら、メモをとっていた。
それを見たら消え入りそうな文字で「立ちション」とだけ書いてあった。人はすぐに異常事態を飲み込めないのだ。

 

「誰がやったのか?」

僕が急いで電話番号から伝票を確認すると、そこで1人の配達員の名前が浮かび上がった。

 

「吉崎」

 

有名大学に通う好青年だ。仕事は真面目で、皆と仲良く2年以上も働いてきている。僕も何度も一緒に遊びに行っているし、どんな人間かも理解しているはずだった。

彼がそんなことをするとは思えない、何か理由や手がかりがあるはずだと伝票を確認するも、初めて注文したお客様で店から徒歩で5分くらいの場所だった。ダメだ、全然わからない。そもそもこのことに納得できる理由なんて存在するのだろうか。

思い返してみればアメリカンドッグを食べながら遅刻してくる、「夜の怖い話」を自分が朝起きたシーンから話し始める、建設中のスカイツリーにデートで2回行く、などの奇行はあったが、基本的にサボる人間が多い配達のバイトの中ではかなり真面目にこなす方だった。

「すぐに伺わせていただきます!!」

店長は急いでヘルメットをかぶり、仕込みなどを任せて現場に向かっていった。

残された私たちは、笑った。それはもう、すごい笑った。配達に出ていた他のドライバーたちもすぐに事情を共有され、全員笑った。

 

16:00

2時間くらい経ったころ、吉崎と店長が一緒に帰ってきた。

「吉崎とふたりで、家の壁を掃除してきた」

噂の立ちション吉崎はうつむいて大きなビニールを持っていて、そこにはデッキブラシや洗剤などが入っていた。

正直この光景だけで相当面白かったんだけど、店長から深い怒りのオーラを感じたので笑うことは出来なかった。店長はずっと優しい人だったので、こんなに怒っている様子を見ることも初めてだった。

「吉崎はいったん帰らせる。配達には出せない」

「今日の閉店後、ドライバー全員でミーティングをする」

「マキヤくんから全員残るよう言っておいて。今日出勤じゃない人たちには今すぐ俺からメールする」

「二度と、二度と、こんなことが起きてはいけない」

店長はビリビリとした殺気のようなものを纏っていて、僕含む、野次馬感覚で集まった連中は言葉を発することも出来なかった。

異常事態の発生に浮ついて、どうしてそんなことになったのか、そして一体どうなったのかと気になりだしたら止まらない。

気づけば、あっという間に終業の時間になっていた。

 

当時はLINEが今ほど普及していなかったので、店長はメーリスというスタッフ全員にメールが送れる機能を使って招集をかけた。

なので出勤組にも届いたのだが、店長のメールは吉崎に配慮したのか、名前はおろか立ちションについても一切触れていなかった。
さすがにもう残っていないので、記憶の限り再現したものを貼らせていただく。

 

起こった出来事とのバランスがとても悪い、なんとも仰々しいメールだった。事情を知らない奴が見たら「人を轢いた」くらいのことが起きたんじゃないかってメールが全員に送られていた。

 

22:50

ミーティング開始10分前。スタッフのひとりがバイクのチェックをしていて、それが終わったらミーティングが始まる。

僕らはバックヤードの和室に集合し、体育座りで円になっている。その中心で吉崎は立っていた。

 

僕らは既にこの時点で、限界だった。

笑いをこらえることが限界だった。

 

一度俯瞰で見てみてほしい、立ちションした男が和室で無言で囲まれてる状況を。ドライバーたちなんてほとんど大学生だ、みんな笑っちゃいたくて仕方がなかったと思う。

しかし店長が相当怒り狂っていることも僕らには伝わっている。拳を固く握りしめている店長を前に笑うなんて絶対に出来ない。

ただ、この笑ってはいけない空気が完全に皆をおかしくしていた。全員が示し合わせたかのように配達用の帽子を脱がずに深くかぶり、咳払いで笑いを逃している。

そう、ちょっとでも吉崎のことを見たら、全てが決壊してしまう。店長以外全員がうつむいて、表面張力のように笑いをこらえていた。

 

その時、バックヤードの扉が開く。

本日出勤していなかったメンバーがひとり、入ってきた。真面目な大学生だ。

彼はバックヤードに漂う異様な空気をすぐに察知したのか、深妙な顔をして、落ち着いた低い声で言った。

「何が、あったんですか」

グフッ、ゴフッ、ンプッ、ンンッと室内に咳払いが響く。

無理だった。まだミーティングが始まってもいないのに、こんなちょっとの刺激で溢れるくらいに込み上げてきていた。

吉崎を見たら、直立不動で真っ直ぐ、男らしい顔で前を見ていた。なんでそんな目が出来るんだと思ったらどんどん面白くなってきた。ヤバい。やめてくれ。

 

そして出勤してなかったメンバーたちが続々とやってきた。店長のメールのせいですごく不安そうな顔で。

「事故ですか?怪我をさせたとか……?」

「店がなくなるってどういうことですか!」

「なんで吉崎だけ立ってるんですか?」

「吉崎が何かしたんですか! 何でみんな何も言わないんですか! 教えてくださいよ!」

もう咳払いでは逃しきれないくらい、皆がゲホゲホとむせてしまっていた。どこか異常な、ぼんやりとさせる台風のような熱気がこの和室に渦巻いていた。笑っていないのは中心にいる吉崎と店長だけだった。

23:00

開始時間になり、こんな状況でも笑うそぶりの一切ない店長が口を開く。

「全員、集まってもらってありがとう。メールにも書いたが、店の存続が危ぶまれるほどに、重大なことが起きた」

目から、声から、その動き全てが怒りを表していた。その全てが吉崎に向く。

「まずは、集まってもらった理由を、吉崎から! 説明してもらう!」

こんなに面白い状況で静かに怒気を込めて話している。店長の怒りの深さを全身で感じた。

「吉崎!今日何があったのか、みんなにンフッ説明してみろ!」

だめだった。ちょっと笑っちゃってた。

 

そして説明を命じられた吉崎が、口を開く。まるで選手宣誓のようによく通る、力強い声で。

「今日!僕はお客さんの家の壁に、立ちションを!した!」

なんでそんなハッキリ言えるんだろう。

もっと申し訳無さそうにしてくれよ。こんな奴だったっけコイツ。脳に電撃が落ちたかのようにまた笑いが込み上げ、強くこらえるとこめかみの辺りが痛くなってきた。

周囲を見ると、多くの人が目を見開いていた。人は限界まで笑いをこらえると目を見開くらしい。ドキュメンタルでもそういった様子を見たことがある。

そしてミーティングのためだけに呼ばれた奴らが全員「??????」という顔をしていて、一人が「え?」って言ったので僕はついに吹き出した。

 

今日起きたことはこうだ。

クレームの電話を入れたのは注文主の娘さんだった。二階のベランダで何かしてたらバイクの音がして、「お寿司きた」と思ってベランダから見ていたら吉崎が壁におしっこをし始めたらしい。

驚いてそのまま見ていたら吉崎がその手で寿司を持ってチャイムを鳴らしたので、すぐに父親に共有しお縄となったそうだ。

 

詳しい内容を知ったところで、まだ理解がちょっと追いつかない。皆も同じ様子で、静かに唖然とした顔で吉崎を見ていた。

店長がもう吹き出さないようにか、ゆっくりと言葉を発する。

 

「では、みんなから、質疑応答」

質疑???応答???

全員の顔に困惑の色が浮かぶ。「僕たちがおしっこした人に質問をするんですか???」って顔をしている。そもそも当たり前みたいに集められたけどこのミーティングは何なんだ?どうなれば正解なんだ?

 

1分くらいの沈黙の後、後輩の男が質問した。

「あの……どうしてそんなことしたんですか?」

真っ直ぐな質問。みんな普通に聞きたかったけどなんか怖くて聞けなかったことを聞いてくれた。

「遠いエリアだった? あ、渋滞とか?」

「我慢できなかったとかですか?」

「店のトイレ閉まってたとか? たまに鍵も壊れてますよね!」

それを皮切りに、皆が歩みよるような質問を投げかけた。

変な話だが正直なことを言うと、吉崎を全員で少し守りたかったんだと思う。理解できないことが起きてしまったけど、ずっと一緒に働いてて遊びに行ったりもしていたバイト仲間を、ちょっとでも理解しようとしていたんだ。

「その家の壁が新築で、とても白かったからです」

そんなものを吉崎は一撃でなぎ払う。誰もついてこれないスピードで進んでいく。壁が白かったからお客さんの家におしっこをしました???

「現場は店からも近いです」

なぜか皆の歩み寄りを先回りしてまで潰していく。高学歴が悪い方向に作用している。どうして自分がやったことを現場って言えるんだろう。

「ベランダから見られていたことには気づいていたんですか?」

「気づいていたらしてないですよ、おかしいじゃないですか」

正しいことが混ざっているのが余計に怖い。いっそのこと「見られてたのでしました」とか言ってほしかった。

 

「幸いお客さんは許してくれて、俺もこれ以上の大事にするつもりはない。だけど、もう配達に出すことは出来ない。……吉崎はどうしていきたいんだ?」

後から聞いた話だが店長は長時間の土下座と数万円分の無料クーポンに加え、「今後ご注文頂いた際は全て店長が作り店長が配達する」という念書を書き、なんとか許してもらったらしい。

「僕は……」

吉崎はそれを間近で見ていたはずだ。自分のせいで誰かが謝罪している姿を見て、平気で居られる人間なんてそういない。

「僕は……こんな……」

店長は優しくていい人だ。それは2年もいた吉崎もよくわかっているはず。そんな店長が自分のせいで土下座した現場に居たんだ。想像しただけでも心が痛むようなシーンだ。

「こんなに集められて知られて、僕はこの店に居づらいです」

しかし吉崎は止まらない。全てを切り捨て、真っ直ぐに進んでいく。店長の顔にも怒りがにじむ。その瞬間、

 

「吉崎ぃ!」

たまらず副店長が声をあげた。

 

「お前、自分がしたことをわかってるのか……!?」

副店長は気のいい30歳で、皆の兄ちゃん的な存在であり、吉崎とも特に仲が良かった。だから本当は守りたかったんだと思う。

 

「何でそんなこと、したんだよ!」

しかし吉崎はとんでもないことをしていて、店長は怒っていて、自分は副店長という立場だ。

 

「お前、常識で考えたらさぁ、なぁ、」

そういった色々なことで、副店長はきっと、混乱しちゃったんだと思う。

 

「そういうのはさぁ、普通さぁ、」

色んな感情がブワーっと溢れて、もう、よくわかんなくなっちゃったんだと思う。

 

 

 

「そういうのはさぁ、森とかでしろよ!」

 

違くない???
少なくとも森ではなくない???

 

0:00

「副店長は森でしてるかもしれない」という新たな不安が皆に芽生えたところで、時刻は0時を過ぎてしまった。

「仕込みとかの専門で残すことも考えていたけど……うん、無理なんだろうな……」

「吉崎、今日でクビだ。お疲れさま、今までありがとうな」

店長がクビを告げる。本当に何でだかわからないんだけど吉崎は悲しそうな顔をしていた。めちゃくちゃ予想の範疇だと思うけど、なんであんな顔ができたんだろう。

 

「もうまっすぐ帰る気になんてなれない」

この気持ちはみんな同じだったのか、店長以外のメンバーはすぐに店を飛び出して吉崎を捕まえ、近くの居酒屋に移動した。

 

吉崎はビールを一気に飲み干した。そしてジョッキをテーブルにガンッと置き、大きな声でこう言った。

 

 

 

「納得いかないっすよ!!」

 

いけよ。いってくれよ。頼むから。なんで納得できないんだよ。2年以上も一緒にいたのに今日のお前がずっとわからなかったよ。

 

ああ、2年くらいで他人を理解したなんて思ってはいけなかったんですよね。

 

 

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