取引先から指定された場所は、都内の高級ホテル、最上階ラウンジだった。
担当者の方が少し遅れてしまうらしく、先に入っていて下さいとメールが来た
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昼はカフェ、夜はバーになるような、そんなところ。
こんなところに立ち入るのは初めてで、妙に緊張した。陽光が差し込み、広い感覚で並べられたソファは、それだけで高級感を醸し出していた
店内は騒がしくなく、落ち着いたBGMが流れ、商談にはもってこいの空間だった
メニューを渡され、思わず2度見する
コーヒー ¥1,800
カフェオレ ¥2,100
とんでもないところに来てしまった。ドトールの6倍くらいの物価だ。こんなところを指定してくるあの担当……俺をビビらせるつもりだろうか
実際、ビビッてる。周り外国人ばっかりだし。全然落ち着かないから早く担当者さん来ないかなって思ってる。今なら露骨に不利な条件でも「はいっ、ではそれで」とか言って呑んでしまいそう
いや、ダメだ、なめられてはいけない、ただでさえ若いからなめられやすいんだ
今日の仕事はとても重要で、普段なら自分より2~3段階くらい上の立場の人がやるような内容だ。経験だ経験だ担当いい人だからとか言われて何故か引き受けてしまったけど、今日の結果次第では上司と部下に多大な迷惑がかかる事になる。
一応あらかじめ偉い人との会議で決めた予算の範囲があって、その範囲内で収めて話をまとめるというのがミッションだ。相手方がすんなりそれを受け入れてくれれば楽だが、もちろん相手方の会社にも決められた予算や事情があるので、ここの交渉はとても大切で、上手いところに着地する必要がある
常套手段として、範囲の少し上を提示して、そこから正規の範囲までズルズル(こっちがめっちゃ譲歩してる風に)下げて、なんとかまとめるという方法がある。
なんとかまとめるの部分がかなり不安だが、自分の思い付く交渉術はそんなものだったので、これ1本でいくことにした
1人部下も連れて行ってと言われたので、若い自分と、それより若い部下だとなめられる! と思ったので最も無能で戦力にならないが年齢は35歳の浜田を連れてきた。当日の浜田のスーツがシワッシワですごく後悔した
担当者がくるまで少し時間がある。何も頼まないでここにいるのは厳しいだろう、それに平然と頼むことでビビってない感が出せるかもしれない。「よく来ますけど?」くらいの感じで臨んだ方がいい
僕は店員さんを呼び、「ホットコーヒーを」と注文した
浜田が「いやー頼むんすかww1800円っすよww俺絶対無理っすww」
とか言ってくるからあまりの恥ずかしさに赤面して変な汗が出てきた
「あはは、浜田はいつも缶コーヒーだもんな、すみません、コーヒー2つで」
心の中ではこういうところによく来る奴になりきっていたので、そのスタンスで乗り切った
コーヒー2杯で3600円‥‥サービス料が15%乗るらしいから4000円は越えるんだろう、凄いところだ
キレイなお姉さんがコーヒー持ってきた。角砂糖が色んな形しててお洒落だった
多分美味しいんだと思うけど、ドトールとかのコーヒーと目隠しされて利きコーヒーさせられたら当てる自信は無い。自分にはまだ、このコーヒーを愉しむ資格が無いのだろう。プレボスが一番うまい
改めて見渡すと、店内の半分は外国の人だった。英字新聞を読む人、iPadを開きながら談笑する人たち、外の景色を見ている人。
こういう世界もあるんだな、昔喫茶店とかで交渉した時「俺サラリーマンっぽい!」とか思ったけど、まだまだ全然上があるんだなと感じた
こんな場所を頻繁に使う人って、どういう話をするんだろう。
きっと、大塚のピンサロ街でポケモンgoしたらベロリンガが出てきた話とかしないんだろうな
二人で担当者を待つ。会話は無い。途中、浜田が一気飲みくらいの感じで1800円のコーヒー飲み干しててビックリした
おしゃれなラウンジだ。ソファもテーブルも、カップに至るまでも、「上質」を感じさせる。僕もなんていうか、こんな場所で株とか為替の話とかしたい。ソワソワせずに話したい
浜田とは共通の話題はろくに無い。以前、「俺かなりの映画オタクなんですよ」とか言ってきて、僕も映画サークルに入ってた過去があるからここを糸口に話せると思って「そうなんだ! 一番良かった映画は?」って聞いたら「ハンサムスーツっすかね」って返答が来た。そこから映画の話はしなくなった。多分だけど映画オタクの人は1番にハンサムスーツを挙げない
というわけで2人に会話は無い。いつもよりも無い。周囲のオーラにあてられて、ちょっと萎縮しちゃっているのかもしれない。それに、あと5分くらいで担当者の人も来る。ただ待っていればいいんだ。会話の必要もない。
僕はそう思っていたのだが、浜田も緊張していたのだろうか、沈黙に耐えられなくなったのかもしれない、甲高く、場違いな音量で、浜田は僕に問い掛けた
「メロンパンって、何でメロン入ってないんですかねー?」
したくないなー
今その話したくないなー
すごく恥ずかしい。そんな原初の話題を今こんな処でいなくちゃいけないんだ。別に普段行くような居酒屋でもしたくない話だ
「なんでだろうね」
この話題を終わらせてほしくて、冷たい感じで返答した。しかし浜田は甲高い声で畳みかける
「あんこパンとか、いちごパンとかは、名前の通りの物が入ってるじゃないですかー?」
聞き慣れないパンが2つも出てきた。頼むから黙っていてくれ
5分後、連絡頂いていた時間ピッタリに担当者の方がやってきた。永遠とも言える5分だった
ベテランの50歳くらいの方で、パッと見で高級とわかるネイビーのスーツに、マスタード色のネクタイが映える、完全に”デキるおじさん”だった。
交渉は、そもそも事前にこっちで決めていた条件がわりと良かったらしく、むしろ僕が少し助けられる形でまとまった。すごくいい人だった。僕は多分この人の息子くらいの年齢なんだろうけど、年下扱いなどせず、対等に汲み取ってくれて、すごく話しやすかった。当然のことのようだが、相手を値踏みする人間の方が多いのが現実だ。ちなみに浜田が名刺を卒業証書みたいに受け取ってて恥ずかしかった
「ここは夜、シガーバーになるんですよ」
「葉巻ですか! いいですね」
「仕事帰り、よくここでニュースとか見てるんですよ」
仕事帰りにシガーバーでニュース……かっこよすぎるな。僕もいつかこんなおじさまになれるのだろうか。ニュースって言っても、なんか経済の小難しいニュースとか見るんだろうな。てるみクラブ内定者の悲鳴!とか東京03豊本プチ不倫!みたいなのは見ないんだろうな
交渉後の5分程度、少しの談笑をしただけで何かが満たされるようだった。あっという間の5分だった。お会計も「ご失礼でなければ、こちらの経費で」と払ってくれた。もう僕はされるがままだった
僕が担当になるので、この人とはしばらく月1くらいで顔を合わせることになる。
「次回は夜に来ましょうか!」というセリフが嬉しかった
そして別れ際、有難う御座いました今後とも~みたいな挨拶をしてたその時
借りてきた猫の様に微動だにしなかった浜田が、ようやく口を開いた
「そういえばウグイスパンっていうのもありますよね」
やーめーてーくーれー
何がそういえばなんだよ何と掛かってるんだよ
僕は聞こえなかったフリをしたが、担当者の方が「は?」みたいな顔をしていた
「あ、すみません、こっちの話です」
浜田は訂正した。訂正によって僕の評価まで下げるという高等技術を見せてくれた
帰り道
これは浜田を連れてきた自分のミスだと思いながら早足で駅まで歩いていた
「いい店でしたね、今度、夜いきます?」
多分、君とは行かないと思った
浜田の普段の仕事っぷりはこちら
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